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経済学の学会ガイド:論文になる前に、研究はどこで議論されているのか

論文になる前に、研究はどこで議論されているのか

経済学のニュースや解説を読んでいると、「○○大学の研究によると」「ある実証研究では」といった一文に出会います。完成形の論文は、学術誌に掲載され、引用されます。けれども、論文という形に整う前に、研究者たちはどこで議論しているのでしょうか。

答えは、学会や研究会の場です。

新しい仮説、まだ粗いデータ分析、未完成のモデル。研究者たちは、原稿を学術誌に投稿する前に、何度も人前で発表します。同じ分野の研究者にコメントをもらい、不十分な点を直し、論証を組み立て直す。論文は、こうした集合的な作業の出力です。

この記事は、経済学の研究が議論される を、団体・大会・研究会の3つに整理して紹介するガイドです。経済学部生、大学院進学を考えている学生、若手研究者、政策担当者、シンクタンク関係者、論文ベースで経済を理解したい社会人を想定しています。単なるリンク集ではなく、研究がどこで磨かれているのかをつかむための読み物として書いています。

まず用語を整理する:学会、学会大会、研究会・カンファレンス

経済学に限らず、「学会」という言葉は、文脈によって違うものを指します。最初に、3つの区別を共有しておきます。

(1) 団体としての学会

会員制の学術団体を指します。会員は研究者が中心ですが、大学院生や実務家も会費を払えば加入できる場合が多いです。年会費を払うと会員になり、学会大会への会員価格での参加権、機関誌の購読権、学会主催の研究助成への応募資格などが付きます。

団体としての学会は、年間を通じて存在する組織です。理事会や学会長がいて、機関誌を編集し、若手研究者向けの賞を運営します。

費用について整理しておくと、学会のメンバーシップにかかる 年会費 と、大会ごとに発生する 大会参加費 は別の費用です。会員は年会費を払うことで、各大会の参加費が割引になるのが一般的です。

(2) 学会が開催する大会(年次大会)

団体としての学会が、年に1〜2回開く大規模な研究発表会のことです。たとえば日本経済学会は、春と秋に大会を開きます。会員でなくても、参加費を払えば多くの大会に参加できます。

費用面では、会員は年会費(学会本体に対して)と大会参加費(その大会に対して)の両方 を払うのが一般的です。非会員は年会費を払わないかわりに、会員より高めの大会参加費で参加できる、という二段構えになっていることが多くなっています。

ここで重要なのは、「日本経済学会」と「日本経済学会大会」は同じものではない、という点です。前者は団体、後者はその団体が運営するイベントです。ニュースで「日本経済学会大会で発表された」とあれば、それは特定の週末に開かれた具体的な研究発表会を指しています。

(3) 研究会・カンファレンス

会員制の学術団体ではないけれども、研究者が定期的に集まる場のことです。特定の研究テーマ(労働、計量、理論など)を共有する研究者たちが、毎年同じ時期にホスト機関を持ち回りで開催します。

団体としての学会大会との違いは、組織が常設ではないこと、会員という概念がないこと、招待制や応募制で参加者数が絞られることが多いことです。会員という概念がない以上、年会費は発生しません。ただし運営費を賄うために、開催ごとに参加費を取ることはあります。規模が小さいぶん、発表時間が長く取れ、その場で踏み込んだ議論ができます。論文の完成度を一気に引き上げる場として、研究者にとって重要なインフラです。

ここからは、この3つの順に、代表的な場を紹介します。

団体としての学会

日本経済学会(Japanese Economic Association)

日本の経済学者にとってもっとも基幹となる団体です。理論・実証・政策のすべての分野を扱う、いわゆる総合学会です。英文機関誌は The Japanese Economic Review(JER) で、日本経済学会の研究成果を国際的に発信する場として位置づけられます。

学部生や大学院生にとっては、「自分の関心分野の研究者は、誰がどこにいるのか」を知る手がかりにもなります。

行動経済学会(Association of Behavioral Economics and Finance)

行動経済学・実験経済学・行動ファイナンスを専門とする研究者が集まる学会です。心理学や認知科学との接点が広く、医療・教育・公共政策との連携も進んでいます。研究者だけでなく、行動科学の知見を実務に応用したい民間企業の関係者が参加することも多い学会です。

開発経済学会(Japanese Association for Development Economics, JADE)

開発経済学は、低中所得国の貧困、教育、医療、農業、金融包摂などを扱う分野です。RCT(ランダム化比較試験、randomized controlled trial)を使った因果推論の研究が多く、2019年のノーベル経済学賞(バナジー、デュフロ、クレマー)の対象にもなりました。

日本でこの分野の中心となる学会が 開発経済学会(JADE) です。途上国・新興国における貧困削減と持続可能な経済社会発展に関する研究を進め、その成果を現実の文脈に応用することを目的に設立されました。若手研究者の育成と、国際的な学術ネットワークの構築にも力を入れています。事務局は政策研究大学院大学(GRIPS)に置かれています。

開発経済学を専門とする研究者は、JADE に加えて、より学際的な 国際開発学会(JASID, Japan Society for International Development) にも参加することが多く、また実務面では JICA 緒方貞子平和開発研究所IDE-JETRO(日本貿易振興機構アジア経済研究所) に所属する研究者・実務家との接点も強い領域です。

AASLE(Asian and Australasian Society of Labour Economics)

アジア・オセアニア地域の労働経済学者の学会です。米国の Society of Labor Economists(SOLE) の地域版という位置づけで、近年、存在感を増しています。会員は日本、韓国、台湾、シンガポール、オーストラリア、ニュージーランドなどに広がります。

労働経済学を専門とする若手研究者にとって、最初に経験する国際学会の一つになることが多い場です。

Econometric Society

国際的な計量経済学・経済理論の学会です。1930年に設立された歴史ある組織で、機関誌の Econometrica は経済学のトップジャーナルの一つに数えられます。世界中の経済学者が会員として参加しており、日本人研究者も多く所属しています。

Econometric Society は、世界をいくつかの地域に分けて大会を運営しており、日本を含むアジア圏は Asia Meeting を持ちます(次節を参照)。

学会が開催する大会

団体としての学会と、その大会は別物です。研究の現場で「いま何が話題か」を知りたければ、大会のプログラムを覗くのが近道です。プログラムは多くの大会で公開されており、所属を問わず誰でも閲覧できます。

日本経済学会大会

春と秋に開催される、日本最大規模の経済学の研究発表会です。理論、計量、マクロ、ミクロ、労働、産業組織、行動、開発、財政、貿易など、すべての分野のセッションが並びます。

研究者にとっては、自分の研究を国内の経済学コミュニティに披露する基幹的な場です。学生や政策担当者にとっては、プログラムを眺めるだけでも、日本の経済学研究の現在地を俯瞰できます。

行動経済学会大会

行動経済学会が年に1回開く大会です。実験室実験、フィールド実験、サーベイ実験、ナッジを使った介入研究など、行動経済学の手法を使った研究発表が並びます。学術発表に加えて、応用領域(医療、教育、消費者政策、職場行動など)のセッションが組まれることもあります。

開発経済学会大会

開発経済学会(JADE)が年に1回開く大会です。途上国・新興国を対象とした実証研究、貧困・教育・保健・農業・金融包摂などのテーマが扱われ、RCT を用いた因果推論や、政策評価の研究が中心的な位置を占めます。

JADE 大会のほかに、日本人の開発経済学者は、国際開発学会の大会や、海外の NEUDC(Northeast Universities Development Consortium) などのカンファレンスにも研究を持ち込んでいます。

AASLE Conference

AASLE の年次大会です。アジア各国を持ち回りで開催され、労働市場、教育の経済学、家族の経済学、健康の経済学、移民・人口など、労働経済学の広いテーマが議論されます。日本人研究者の参加も多く、近年は若手の発表機会として重要性を増しています。

Econometric Society Asia Meeting

Econometric Society のアジア地域大会です。計量経済学・経済理論・実証研究ともに、世界水準の研究が集まります。日本での開催年もあり、日本人研究者にとっての国際的な発表機会の一つです。海外で活動する日本人経済学者が一時帰国して参加することも多く、国内外をつなぐ場としても機能しています。

組織としての学会ではない研究会・カンファレンス

ここからは、会員制の団体ではないけれども、毎年定期的に開催されている重要な研究会・カンファレンスを紹介します。

団体としての学会大会と違って、参加者は招待制・応募制で絞られることが多く、規模は小さいぶん発表時間が長く、議論が深く入り込めるのが特徴です。研究者にとっては、論文を投稿前に磨き上げるための重要な場です。

日本計量経済学研究会

計量経済学(経済データの統計分析の方法論)を中心に、理論と実証の両面で研究を議論する研究会です。新しい推定手法、識別戦略(causal identification)、機械学習と因果推論の融合といった、方法論の最前線が議論されます。

参加者は計量経済学の研究者が中心ですが、応用ミクロ計量を使う労働・開発・産業組織の研究者も加わり、方法論と応用の対話が起きやすい場です。

労働経済学コンファレンス

日本における労働経済学の中心的な研究発表の場です。賃金、雇用、教育、家族、社会保険、労働時間、ジェンダー、移民、最低賃金といったテーマが扱われます。

毎年、国内の労働経済学者が一堂に会する場であり、博士課程の学生や若手研究者にとっても、自分の研究を労働経済学コミュニティに披露する重要な機会です。背景としては、関西を中心とした関西労働研究会など、地域ベースの研究会が長らく活動を続けてきた歴史があります。労働経済学コンファレンスは、そうした地域・大学の枠を超えて、全国規模で議論できる場として育ってきました。

応用計量経済学コンファレンス

計量経済学の手法を、現実の経済データに当てはめる「応用」側の研究会です。労働、教育、医療、産業組織、開発、マクロなど、扱う領域は広いものの、共通するのは「データと識別戦略の使い方が研究の中心になる」点です。

差の差分析(difference-in-differences)、操作変数法(instrumental variables, IV)、回帰不連続デザイン(regression discontinuity design)、合成統制法(synthetic control method)など、近年の応用計量経済学を支える手法が、実証研究のなかでどう使われ、どこに限界があるかが議論されます。

SWET(Summer Workshop on Economic Theory)

経済理論を中心としたサマーワークショップです。小樽商科大学 を拠点に毎夏開催されており、ゲーム理論、メカニズムデザイン、契約理論、マッチング理論、情報の経済学など、理論経済学の最先端の研究が議論されます。

海外の理論家も招待される国際的な場であり、日本の経済理論コミュニティの恒例イベントとして長く続いています。

NBER Japan Project Meeting

米国の NBER(National Bureau of Economic Research、全米経済研究所) が主催する、日本経済を題材とした研究会です。年に1回、日本で開催され、日本人・海外の経済学者が、日本経済をテーマにした最新研究を発表します。マクロ、労働、企業、財政、金融など、扱われるテーマは年によって変わります。

「海外の経済学者が、日本経済を世界の経済学の文脈でどう見ているか」を知る上で、欠かせない場の一つです。

読者別の使い方

ここまで紹介した3区分の場を、立場別にどう使えばよいかを整理します。

学部生・大学院進学希望者

最初は、団体としての学会の名前と、年次大会のプログラムを眺めることから始めるとよいでしょう。日本経済学会大会の春・秋プログラムは公開されており、どの大学のどの研究者が、どんなテーマで発表しているかが一覧できます。

関心のある分野が見えてきたら、その分野の専門学会(行動経済学会など)の大会プログラムも見てみる。研究者の名前と所属が結びついてきます。

大学院進学先を考えるときには、「自分の関心テーマの研究者が、どの大学にいるか」が重要です。学会大会のプログラムは、その地図を作る材料になります。

大学院生・若手研究者

団体としての学会大会に加えて、研究会・カンファレンスの場を意識的に使うフェーズに入ります。労働経済学コンファレンス、SWET、応用計量経済学コンファレンス、日本計量経済学研究会といった場は、博士論文の途中の章を持ち込み、コメントをもらい、書き直すための場として機能します。

AASLE や Econometric Society Asia Meeting といった国際的な場での発表経験は、海外大学への進学準備や、国際ジャーナルへの投稿準備にもつながります。

研究は、論文として完成する前に、何度も人前で発表され、コメントを受け、改善されます。発表機会を意識的に積み重ねることが、若手研究者にとっては論文の完成度と同じくらい重要です。

政策担当者・実務家・シンクタンク関係者

学会大会のプログラムを眺めることは、政策担当者にとっても有用です。「日本経済学会大会で、税制や社会保障のセッションが組まれている」と分かれば、その分野でいま誰が、何を、どんな視点で議論しているかをつかめます。

NBER Japan Project Meeting や Econometric Society Asia Meeting のような国際的な場のプログラムも、世界から日本経済がどう見られているかを掴むための窓になります。

学会発表のスライドは、必ずしも一般公開されません。けれども、発表者の名前と研究テーマが分かれば、その研究者のホームページから関連論文を辿ることができます。学会・研究会のプログラムは、政策担当者にとって、「論文になる前の段階の議論」に触れる手がかりになります。

おわりに:学会・研究会を見ると、経済学の現在地がわかる

経済学の研究は、研究室の中だけで完結するものではありません。論文という形に整う前に、団体としての学会、その大会、そして研究会・カンファレンスといった公共的な場で、何度も発表され、議論され、磨かれていきます。

学会・研究会を眺めることは、「いま経済学者たちが、どの問題を、どんな道具で、どこまで議論しているか」を知るもっとも自然な道です。

学部生にとっては、研究分野の地図を作るための入口。大学院生・若手研究者にとっては、自分の論文を鍛える場。政策担当者・実務家にとっては、研究の現場と接続するための窓口。

学会・研究会は、限られた研究者のためだけにあるものではありません。経済学という分野が、社会との対話を続けていくための、公共的なインフラとして位置づけられます。


この記事で取り上げた場

団体としての学会

学会が開催する大会

組織としての学会ではない研究会・カンファレンス

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