エビデンスはどこで探せばよいのか:経済学研究にたどり着くための入口ガイド
「エビデンスが大事」と言われるけれど
近年、政策の議論でも、ニュースの解釈でも、「エビデンス」という言葉をよく聞くようになりました。EBPM(証拠に基づく政策形成)という言葉も、官公庁・自治体の文書でしばしば見かけます。
書籍の世界でも同じ傾向が観察されます。書名や目次に「エビデンス」を含む一般向けの本は、この10年で約7倍に増えたと報じられています(日本経済新聞2026年4月12日)。特に育児・教育分野で、「主観的な体験談よりも、客観的な根拠に基づいて判断したい」という空気が広がっている、とのことです。記事はあわせて、エビデンス本は玉石混交であり、「妄信せず、情報源を見極めるリテラシーが一層重要になってきた」とも警鐘を鳴らしています。
つまり、エビデンスへの需要は高まり続けている。けれども、いざ自分で経済学の研究を調べようとすると、これが意外と難しい。Google で検索しても、出てくる論文は専門的すぎる、有料で全文が読めない、信頼できる情報源かどうか判断しにくい。一般のニュースだけでは、研究の手触りまでたどり着けない。
この記事は、経済学研究にアクセスするための 入口 を、目的別・読者別に案内するガイドです。学部生、大学院生、政策担当者、シンクタンクで働く方、論文ベースで経済を理解したい社会人を想定しています。
単なるリンク集ではなく、それぞれの情報源の 使いどころと限界 にも触れます。
まず日本語で全体像をつかむ:『経済セミナー』
最初に挙げたいのは、日本評論社が刊行する隔月刊誌 『経済セミナー』 です。
いきなり英語論文に飛び込む前に、日本語で問題意識や研究分野の全体像を得る、というのが基本の使い方です。各号の特集では、計量経済学・労働経済学・行動経済学・実験経済学・産業組織論・ゲーム理論など、特定の研究テーマに焦点を当て、第一線の研究者が手の内を解説しています。
- 学部生 なら、卒論テーマ探しや大学院進学前の分野理解に
- 大学院生 なら、自分の隣接分野の動向把握に
- 政策立案者 なら、研究者との会話の準備に
それぞれ役立ちます。単なる雑誌紹介ではなく、「研究の地図を得る」 ための媒体として位置づけられます。
政策課題から探す:CyberAgent AI Lab の EBPM データベース
次に紹介するのは、EBPM データベース です。CyberAgent AI Lab が公開している、政策課題からエビデンスを探せる検索データベースです。
教育、医療、少子化対策、環境、財政などの政策分野ごとに、世界中で行われた介入・実験・実証研究の結果を調べられます。各エントリは、
- どんな介入を行ったか
- どの評価指標で測ったか
- どんな効果が出たか
- 証拠の強さ(研究デザインの厳密性)
といった観点で整理されているので、政策担当者にとって使いやすい構造になっています。
「この政策は理論的に正しいか」だけでなく、「似たような政策を実施したとき、実際に何が起きたのか」 を知るためのツールです。
CyberAgent AI Lab とは
CyberAgent と聞くと、広告・メディア・ゲーム・AI 技術の会社という印象を持つ方が多いかもしれません。けれども、CyberAgent AI Lab には、日本の民間企業としては珍しく 経済学者を含む研究チーム があり、広告オークション、推薦システム、マーケットデザイン、因果推論、実験、政策評価といった、経済学とデータサイエンスが交差する領域で研究を行っています。
EBPM データベースも、そうした知見を社会に開く取り組みの一つとして位置づけられます。
エビデンスは、大学や政府系シンクタンクだけから生まれるものではありません。データを持つ企業、実験を設計できる研究者、政策課題を持つ行政。これらがつながることで、社会に役立つ知見が形になっていきます。
日本経済・政策研究を日本語で読む:RIETI ノンテクニカルサマリー
3つ目は、RIETI ノンテクニカルサマリー です。
RIETI とは
RIETI は 独立行政法人経済産業研究所 の略称、英語名は Research Institute of Economy, Trade and Industry。経済・産業・貿易・労働・企業・地域経済などに関する理論的・実証的研究を行う政策研究機関です。一言でいえば、学術研究と政策現場をつなぐ、日本の代表的な政策シンクタンク のひとつです。
大学の経済学者、政府関係者、実務家が関わりながら、政策課題に関する研究成果を発信しています。
ノンテクニカルサマリー(NTS)の使いかた
専門的な数式や推定手法の細部に入る前に、研究の問題意識、データ、主な結果、政策的含意を日本語で把握できる要約が ノンテクニカルサマリー です。
政策立案者や社会人にとって、原論文を読む前に「この研究は何を明らかにしたのか」をつかむ入口になります。
EBPM データベースが「政策課題から研究を探す入口」だとすれば、RIETI NTS は 「日本経済・政策研究の要点を、日本語で読む入口」 と整理できます。
海外で全体像をつかむ:JEP・JEL・Annual Reviews・AEA Research Highlights
日本語の媒体で土台を作ったあとに、英語の媒体に進む段階で役立つのが、海外の解説・レビュー型の雑誌・サイトです。原論文を1本ずつ読む前に、特定分野の研究動向を俯瞰したり、第一線の研究者が書く解説で論点を一望したりするのに使えます。
- Journal of Economic Perspectives(JEP):米国経済学会(AEA)が刊行する四半期誌。第一線の経済学者が、自分の研究分野の論点や政策含意を、一般の経済学者にも読める文体で解説します。多くの記事はオープンアクセスで全文公開されています。
- Journal of Economic Literature(JEL):同じく AEA の刊行誌。特定の研究分野について、過去の研究を体系的に総括する長文の文献レビューを掲載します。新しい分野に入るときに、その分野の地図を一気につかむのに有用です。
- Annual Review of Economics:Annual Reviews 社のシリーズの経済学版。各分野の年次の進展を、専門外の研究者にも届く形で整理しています。
- AEA Research Highlights:AEA の公式サイトに掲載される研究紹介。AEA が刊行する各誌(American Economic Review、AEJ シリーズなど)の研究を、英語で短く読みやすく要約しています。エコノメディアと近い役割の英語媒体と言えます。
これらは、日本経済を扱う JER/JJIE/JWE よりも幅広い分野をカバーし、世界各国の研究を含みます。「経済学全体でいま何が議論されているのか」を把握する入口として使えます。
原論文にあたる:JER、JJIE、JWE
英語の原論文に進むときに、まず手にとってほしいのが、日本経済を扱う3つの主要な英文誌です。
- JER(The Japanese Economic Review):日本経済学会の英文機関誌。経済学全般の理論・実証研究を掲載。日本の経済学研究者の研究成果に触れる入口になります。
- JJIE(Journal of the Japanese and International Economies):日本経済と国際経済の関係、日本経済の制度・政策・構造変化などに関する研究を掲載。日本経済を国際比較の中で考えるときに役立ちます。
- JWE(Japan and the World Economy):日本と世界経済の関係、貿易、金融、企業活動、国際的な経済関係などを扱います。日本経済を世界経済の中で理解するための論文を探す入口です。
エコノメディアでは、この3誌から「これは読んでほしい」一本を選び、編集部の視点で長めに紹介する ハイライト記事 を継続的に出しています。
論文の読み方:最初から完璧に読まなくてよい
初心者がよく抱える誤解は、「論文は最初から最後まで全部読むもの」というイメージです。実際には、まず
- タイトル
- アブストラクト
- イントロ
- 結論
の4つを順に見ます。研究の問い、使っているデータ、比較している対象、主な結果だけ確認すれば、その論文が自分の関心に関係するかどうかは大体わかります。推定式やロバストネスチェックの詳細は、必要になってから読めば十分です。
「原論文にあたる」というのは、すべてを理解することではなく、情報の出所を確かめる ことでもあります。
専門家を探す:安田リスト
研究テーマや政策課題に関わる人を見つけたいときに役立つのが、安田洋祐氏が運営する Economists Japan、通称 「安田リスト」 です。
- 国内編:国内で活動する日本人経済学者
- 海外編:海外で活動する日本人経済学者
政策立案者にとっては、特定分野の専門家を探す手がかりになります。学生にとっては、関心分野の研究者やロールモデルを知る入口になります。
ただし、リストに載っているかどうかは研究者の価値を完全に表すものではありません。リストの維持にはどうしても更新時点や運営者の知識範囲に依存する部分があります。専門家を探し始めるための入口 として使う、という距離感が適切です。
読者別のおすすめ導線
ここまで紹介した情報源を、立場別にどう組み合わせればよいか。それぞれの典型的な導線を整理します。
学部生
- まず『経済セミナー』で関心分野を広げる
- 気になったテーマを EBPM データベースや RIETI NTS で深掘りする
- 最後に原論文(JER/JJIE/JWE など)のアブストラクトだけ読んでみる
卒論テーマ探しや大学院進学前の準備として、研究分野の地図を作るイメージです。
大学院生
- 日本語解説だけに頼らず、JER・JJIE・JWE などの原論文にあたる
- 興味を持った論文の引用文献と被引用文献をたどる
- 安田リストを使って、研究者や研究分野の見取り図を把握する
研究テーマを探すときは、論文そのものだけでなく、誰がどの分野で研究しているか も視野に入れるとよいでしょう。
政策立案者・官僚・自治体職員・政治家
- 最初から英語論文検索をするより、まず EBPM データベースと RIETI NTS から入る
- 政策課題から研究を探し、類似の介入・評価指標・効果の方向・証拠の強さを確認する
- 必要に応じて原論文や専門家に進む
ここで大切なのは、「エビデンスを政策に使う」とは、都合のよい論文を一つ見つけることではない ということです。複数の研究を見比べ、文脈の違いを考えること、そして、自分が直面している課題と研究の設定がどこまで似ているかを確かめることが、エビデンスを政策に活かす作法です。
おわりに:エビデンスを探す、という営み
エビデンスを探すとは、「正解を検索する」ことではありません。どの研究が、どの文脈で、何をどこまで明らかにしたのかを、ひとつずつ確かめていく作業です。
最初から完璧に論文を読む必要はありません。
- 日本語の解説で 地図 を得る
- 政策課題から 研究を探す
- ノンテクニカルサマリーで 要点をつかむ
- 必要に応じて 原論文 に進む
- そして、専門家に聞く
経済学のエビデンスは、研究室の中だけにあるものではありません。適切な入口を知っていれば、学生も、政策担当者も、社会人も、よりよい議論のために使うことができます。
この記事で紹介した情報源
- 『経済セミナー』(日本評論社)
- EBPM データベース(CyberAgent AI Lab)
- RIETI ノンテクニカルサマリー(独立行政法人経済産業研究所)
- Journal of Economic Perspectives(AEA)/Journal of Economic Literature(AEA)/Annual Review of Economics/AEA Research Highlights
- The Japanese Economic Review(JER)/Journal of the Japanese and International Economies(JJIE)/Japan and the World Economy(JWE)
- Economists Japan(安田リスト):国内編/海外編